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板垣退助 生誕の地 |
明治十年、板垣退助は潮江新田に転居した。
生家は空き家になり、一時、立志学舎の教場に用いられた。
明治十四年四月二十一日の『高知新聞』には、「甲斐源氏の庶流板垣氏の代々居を占し、中島丁角邸は、先年立志社の学校となりし処、京町へ転校の後久敷無住たりしが、今般高野山の法主が代価三千円に買い求め真言教会所を建立するとかや」との記事がある。
これによって板垣旧邸は買収されて高野寺となり、明治十六年七月十九日、建築落成となって上棟式が執り行われた。
高知市比島の龍乗院山門は、明治四十二年に高野寺から買い入れた板垣退助生家の門である。
(高野寺にある板垣退助の石碑)
下の旧邸図は明治二十六年刊行の『板垣退助君伝』に収録されており、板垣生家西側の辻には水草が生い茂る濠があった様子が描かれている。
(会報 板垣会 第5号より)
(旧邸図)
四国三十三観音霊場 高野山真言宗遍照山 高野寺〒780-0870 高知県高知市本町2丁目3-18
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