高野寺
縁起

縁起

板垣退助 石碑

土佐國の高野山
高野山真言宗 遍照山 高野寺


四国三十三観音霊場 13番札所


本尊 弘法大師(総本山金剛峯寺勧請)
脇侍 不動明王 高野山金剛三昧院勧請)
       愛染明王
観音堂本尊 一葉観世音菩薩

高野山真言宗に属する。


明治初頭、神仏分離政策と廃仏運動により、高知では仏閣の約7割が無残にも破却された。


人心の荒廃を嘆いた高野山金剛峯寺塔頭上蔵院(じょうぞういん)院家(住職) 原信頂師は、下向して「土佐国の髙野山」を開かんと発願。

明治15年(1881年)、板垣退助氏等の支援を受け、高野寺は高知での仏法再興を期し「高野山出張所」として開創された。


先の大戦の空襲により灰燼に帰したが、戦後復興を果たし、現在に至る。

明治時代の高野寺

(空襲で焼失する前の高野寺本堂)

高野寺山門

(空襲で焼失する前の高野寺山門)

高野寺鐘楼堂

(空襲で焼失する前の高野寺鐘楼堂)